写真の仕事をしているワケ vol.2「仕事で何がしたいか・・・」

日本に帰って、就職のことを考える時期になりました。
英語に比べてフランス語は、1年くらいの留学でも、それなりの仕事ができたりもします。
フランスで見つけた素敵な物や、ワインやチーズなどを輸入したりなども面白いかな、
と思った時期もありました。
フランス留学を武器に、それなりの企業に勤めることも可能だったかもしれませんが、
私の中で、どれもしっくりきませんでした。

ウエディングプロデューサー時代

私がフランスで味わった本当の意味での豊かさを、忙しい日本では、同じ形で実現するのは難しい。
でも、そういう感覚を少しでも多くの日本人が味わえたら・・・(その当時のこと。今はこういう感覚を味わう場が増えていると思います。)

そして、喜びや充足感、安らぎなどを人に直接与えられる仕事がしたい、そう思いました。

フランスから帰ったのが4年生の夏。
何をやるべきなのかと考えていた私が、実際に動いたのは、卒業間近の2月でした。

お客様との写真

情報誌「とらばーゆ」で探して受けた会社は、インテリア、ウェディング、ディスプレイの会社でした。

当時から、肝が据わっていると言われていた私が受かったのが、ウェディングプロデュースを手がける会社でした。
(その会社での新卒の採用は、私が初めてだったそうです。)

私にとって結婚式は、お二人に喜びを何倍にもしてあげられる、”道具”でした。

いつか手に職が持てればいいな、なんて思っていた私にとって、ウェディングの仕事は、いろんなプロと関われることも好都合でした。
料理、サービス、司会、音楽、花、ドレス、ヘアメイク、そして写真。

このときの私は、特に写真がすごく好き、というわけではありませんでした。
他のことにも興味がありました。
でも毎週、ウェディングの現場に関わるなかで、撮影してるカメラマンの様子を観察していて、あのときあそこで撮ってた写真が、
こういう風にできあがってくるんだ、と常に、現場も上がりもチェックしていました。

写真を撮る立場になって、なかなかそういうプロデューサーがいないことを知りましたが、私にとっては、ごく自然な行動でした。

いろんな要因が重なって、当時の取引先の撮影会社(アリアコーポレーション)へ、転職することになったのでした。

→「道具が写真へ。
ウエディングカメラマン時代。」
へ続く